診療科・部門について
私は2年目の看護師ですが、助産師でもあります。私が5歳と7歳の時に妹弟が生まれました。母から出産の話を聞いている時に助産師の存在を知りました。その頃から、助産師は尊敬され、感謝される素敵な仕事なんだなぁと興味を持ち始めました。気づけば助産師を目指し助産学専攻科に進学していました。現在、私が所属している部署は、産婦人科と整形外科との混合病棟で女性のみが入院する唯一の病棟です。助産学専攻科で得た女性に特化した学びを活かせると思い当院を選びました。
看護の支えとなっているのは患者さんからの感謝の言葉です。整形外科と産婦人科の混合病棟で勤務しているため、手術前後の患者さんに携わることが多いです。今まで出来ていたことが出来ない、動きたくても動ない患者さんから「もどかしい」「情けない」「申し訳ない」という言葉を多く聞きます。その言葉を聞いて手を差し伸べたいと思っても、日々の業務に追われると、医師の計画に沿った治療計画や処置に重きを置いてしまいがちです。しかし、患者さんの身の回りのサポートは看護としてとても大切です。患者さんが助けを求めていれば、小さなことでも快く対応し、継続的に携わることで患者の思いや変化に気づけるように心がけています。患者さんは私たち看護師のことをよく見てくださっています。「ありがとうね」「あなたに元気をもらったよ」というような言葉をもらった時、私の患者さんへの元気になって欲しいという気持ちが伝わっているんだな・・・私なりのサポートができたかな・・・と感じ、その温かい言葉が看護の支えとなっています。
また、心の支えとなっているのは同期や先輩の存在です。上手くいかないことが続く時や悩んでいる時には相談して話を聞いてもらっています。知識や経験が豊富な先輩方に相談しアドバイスをいただき、ポジティブに導いてもらえる環境があります。同期や先輩の支えがあることで、私は働き続けることが出来ています。
私は入職してから1年間は看護に必要なフィジカルアセスメント能力を鍛えるため、看護師としてトレーニングを積んできました。
そして、いよいよ、秋から看護業務に加え産科業務が始まります。看護業務で得た経験や患者さんとの関わりを通して活かせる内容がたくさんあると思っています。助産師は私が小さい頃からずっと携わりたいと思っていた職業ですが、責任は大きく危険と隣り合わせの仕事で、楽しみの反面不安も大きいです。しかし、自分で決めたやりたいこと、興味のあることだからこそ頑張ることが出来ます。まだまだわからないことだらけの2年目ですが、1つ1つ課題や目標をクリアしながら関わっていく方々と向き合っていきたいと思います。
私は高校生の時に人の役に立つ仕事に就きたいと考え、漠然と医療職に憧れを抱いていました。そんな時に、父親の知り合いの看護師の方から「看護師になるかならないかは別として看護師免許を取ってみてはどうか。」と勧められました。そこで、母体が大きく全国に病院があるという理由で日本赤十字社系列の看護大学に進学しました。大学在籍中に当院の感染管理の認定看護師や大学院に進学中の男性看護師と関わらせて頂く機会がありました。自身の目標を明確に持ち、前向きに取り組む姿はとても輝いて見えました。その方たちから現場での経験談などを聞き一緒に働いてみたいと思い、当院への入職を決めました。就職後もたくさん勉強し続けている先輩方に触発され、自分も大学院へ進学することを考え始めました。
看護師になってから私の琴線に触れた出来事を紹介します。
5年目の時に、新人教育を行う立場となり、新人の指導内容や方法を悩んでいました。他の先輩も私と同じように新人へのサポート方法を悩んでいましたが、教育担当の看護係長は新人に対して根気強く何度も関わり続けていました。私はこの姿に疑問を抱き、係長に「なぜ、前向きに根気強く関わることができるのですか?」と聞きました。すると、係長から「人は誰でも育つ。だから支えてあげれば大丈夫。今は他の新人に比べて技術の取得が遅れていても、3~5年後はきっとできるようになっているはず。」という言葉が返ってきて、私は目から鱗が落ちる思いがしました。この時までは、早く正確に看護業務ができる看護師を育成することが良い教育だと思っていました。しかし、若手の成長を信じて待ちながら、成長を支援する関わりを間近で見たことにより、改めて教育について深く考えるきっかけとなりました。今ではこの新人はバリバリ働いて教育する立場になっています。実は、この看護係長は私が大学生の時に出会った大学院に進学していた男性看護師です。このように、良い影響を与えてくれる先輩が近くにいたことで悩み思い通りに進まなかった仕事も相談しながら乗り越えられたのだと思います。
その後、もっと高いレベルで教育や研究を実践できるようになりたいと考え、上司の理解もあり働きながら大学院へ進学しました。視野が広がり多くの学びを得て、無事に卒業することができました。現在は看護研究支援委員会のアドバイザーとしても活動しています。自分が先輩から学びを得たように、今後は後輩に良い影響を与えられる存在でありたいです。また、院内の教育や研究に関わりながら看護の質を上げていけるように努力していきます。
高校生の時に、検診で心雑音が見つかり、私の意志とは関係なく検査は進み、心臓への負担を減らすためクラブ活動(陸上部でした)が禁止になり高校生活が一変しました。「なぜ自分がこんな目に」と思いながら入院し、心臓の手術を受けました。そんな中で手術後に入った集中治療室で、目が覚めた時に笑顔で「おっはー」と声をかけ安心させてくれた看護師さんや忙しい中でも足を止め椅子に腰を掛けてゆっくり話を聞いてくれた看護師さんなど慣れない生活の中でたくさんの看護師さんに支えてもらいました。そんな看護師さんたちと出会い、こんな職業に就きたいなと思ったのが看護師になるきっかけでした。
広島赤十字・原爆病院へは、大阪から広島へ結婚を機に就職しました。その当時から、研修制度は充実しており就職する決め手になりました。就職時は長男が1歳で夜勤免除を申し出ました。それを快く受け入れて下さり、外来からの勤務となりました。そして病棟へ異動となった際にも、外来で関連した部署への異動となり働いやすい環境への配慮をして下さいました。
入職時1歳だった長男も12歳となり中学生、その下には小学2年生の長女もいて子育てしながら頑張っています。
涙を流しながら処置に耐えた男児との出会い
原疾患によって皮膚潰瘍が多発し皮膚科外来で治療していた当時5年生の男児がいました。当時、痛みが強く処置のたびに涙を流し、皮膚科スタッフにしか処置をさせてくれず、外来から病棟へ上がり入浴介助をして創部洗浄を行い処置していました。歩くことも当時はできず、将来も歩くことができるか予測できませんでした。
先日、その男児を売店で見かけ目が合いました。もう、男児ではなく成人男性になっていたことにびっくりしましたが、なんと自分の足でしっかり歩いていました。歩くことはできないかもしれないと思っていたので、あの時の処置が少しでも役に立ったと嬉しくなりました。男の子は、すごく照れながら「ちゃんと覚えているよ」と言って話しかけてくれました。その顔が、凄くいい笑顔で、この仕事をしていてよかったなと思えました。
子育てと仕事の両立が大変な時もあるけれど、「あなたがいてくれるから安心して入院できる」と言って必要として下さる患者さんに支えられ、頑張れています。
現在、創傷管理関連の特定行為看護師になるための特定行為研修を受講しています。
超高齢化が進み、看護師の役割は拡大してきています。特定行為看護師は、難易度の高い診療の補助業務を、医師があらかじめ作成する「手順書」という包括的指示(※1)で実践するという役割があります。入院でも在宅でも、医師の到着を待たず、患者さんの状態に合わせて必要な処置ができる実践能力の高い看護師のことを言います。
そんな、実践能力の高い看護師になるため日々勉強に励んでいます。仕事と勉強の両立が大変な時もありますが、指導者やスタッフの皆に支えられ頑張っています。
※1包括的指示とは
患者の病態に応じて柔軟に対応できるよう、医師が、患者の病態の変化を予測し、その範囲内で看護師が実施すべき行為を一括して指示するもの
母親、親戚が医療・福祉系の仕事をしており、小さいころから医療・福祉分野の仕事に興味を持っていました。中学生、高校生の時にそれぞれ職場体験学習で病院へ行き実際に看護体験をしてみて、人の役に立てることの嬉しさを改めて感じました。将来は看護師として働きたいと強く思うようになりました。
当院を選択したのは、学生時の実習病院として行く事もありスタッフの方々の雰囲気が良いこと、日赤看護大学の卒業生の先輩も多く就職されていて、働いていく上で心強いと感じたからです。
私は今、血液内科病棟で勤務しています。白血病、悪性リンパ腫、骨髄異形成症候群など様々な血液疾患の患者さんがおられます。昨日までは普通に日常生活を送っていたのに、診断がつき無菌室で長期の闘病生活が始まる患者さんが多くおられます。
化学療法の副作用や長期の闘病生活で体調・精神的に辛いにも関わらず、ケアの際には「ありがとうございます。」と笑顔で応えてくださったり、温かい言葉を掛けてくださったりとこちらが元気をもらうことが度々あります。
また、血液内科病棟には造血幹細胞移植の患者さんもおられます。辛い闘病生活を乗り越えられ、笑顔で退院される姿をお見送りする時は本当に良かったなと思える瞬間です。日々の忙しい業務の中でもそういった場面に立ち会った際には働き甲斐を強く感じています。そして、患者さんの闘病生活から人命の尊さ、生きることついて考え、学ぶことがとても多いです。
現在、2児の子育て中であるため育児短時間勤務で働いています。復帰して間もない頃は、子供の体調不良で急遽お休みを頂いたり、病児保育へ子どもを預けてから出勤したりと慌ただしかった為、仕事と育児との両立が出来るのか本当に悩みました。
休み明けに出勤すると、スタッフから「お子さん、大丈夫でしたか?」と温かい声を掛けて頂くことがしばしばありました。現在も他の子育てママさんから育児の情報を共有させて頂くことが多く、同じ職場スタッフに支えて貰いながら日々過ごしています。
現在、休日夜勤に入っています。夜勤を始めて間もない頃は、夜勤に行く私を泣きながら引き留めようとする子ども達の姿がありましたが、今では「お母さん、お仕事頑張ってね!お土産よろしくお願いね!」と笑顔でお見送りしてくれます。笑
夫も平日は帰宅時間が遅いので、夫婦で協力をし合いながら育児と仕事の両立を図っています。
その人らしさを支える看護師を目指して
緩和ケア看護に興味を持っており、携わる事が出来れば良いなと考えています。その人らしさを大切にして、ご家族を含めて良かったと思ってもらえるような看護をしていきたいと考えています。